意識のシンクロと王道展開

 スレイヤーズREVOLUTION10話までネタバレです。あとファルシェスの砂時計の話も少々。私情込みの感想です。


 個人的にスレイヤーズREVOLUTION10話にはすごい燃えたわけですが・・・まあ何回も見直すとあちこちツッコミを入れたい部分もあるのは事実。でも、そんなことはどうでもよくなるくらい、1回目の視聴は熱かった。で、思った。私って結構単純だなあ、と。
 スレイヤーズに限ったことではなく、私はマンガやらアニメやら所謂「物語」を読んだり見たりする時は、主人公の気持ちに入り込んで見ることが多いんですよね。タイトルにも書きましたが、意識の共有みたいな。これはぶっちゃけ「ヒーロー物を見ながら自分もヒーローになっているような気がする子供」と同じような感覚で、我ながら結構単純だなあ、と思う。でも、これは「物語」の一つの楽しみ方だと思うので、ありかなあ、と思ってます。
 スレイヤーズの場合は、原作がリナの一人称ということでこの感覚が特に強いです。リナはスレイヤーズを読んでいるときの私自身。そんな感覚で読んでいます。私、前に2話の感想の時にこんなことを書いてました。

 10年以上ファンをやっていると、戦闘時におけるリナの思考や意図が読めるようになってくるんですよね。この辺、今でも原作のすぺしゃるを読むときに味わっている感覚です。とりあえず魔法は9割方名前が出た段階でどんな呪文かわかるので、イメージがぱっと広がる。なんと言うか、リナの心情とのリンクによる臨場感ですね。「読める」とは言いつつ、彼女は常にトリッキーなことをやってくれるので、それに驚かされることの方が多い。今回、その感覚がアニメでも楽しめたので嬉しかった。

 10話もまさにこの感覚が来た。リナとシンクロする感覚。それでいて予想の一歩先を行っていて驚かされる感覚。これが私の中でのスレイヤーズの醍醐味の一つなんだな、と思っています。だから、リナとシンクロできない時はものすごい違和感を感じてしまう。あくまで私の中のリナ観とのシンクロなので、身勝手だと思うけど。
 ファルシェスの砂時計のラストバトルはこの「シンクロ感覚」が得られなかったことも、私の中で今ひとつノリ切れず「あれ?」と思ってしまった原因の一つなんだと思う。「腹心の力は吸収されるのか?」「リナがそう認識しているのか?」と疑問を持ってしまった時点で気持ちが離れてしまった。
 あと、10話の個人的にツボだった点は「王道展開」だったことですね。必殺技たるラグナブレードの使用、ピンチに助け舟を出すポコタ、そして大活躍するガウリイ・・・まあ、ベタっちゃベタだけど王道って言うのは使い古されていても盛り上がるから王道なわけで。ああ、私こういうの好きなんだな、と再確認。
 スレイヤーズは「王道外し」と言われています。規格外のキャラクターや、ベタな展開に敢えてツッコミを入れて笑いに換えるスタンスなどは確かに王道外し。・・・まあ最近ではこういうの普通になっちゃいましたが。でも、シリアスな戦闘においては「王道」を使っていると思うんですよね。もちろん随所にばら撒かれた設定を拾い、それを伏線に換えて切り札にするトリッキーな手法なんかはスレイヤーズならではの持ち味です。でも、例えば絶妙なタイミングでリナを助けに入るガウリイとか、仲間達のサポートの元、最後にはビシッと決めてくれるリナとか、王道ポイントは押さえている。アニメの場合は原作以上に積極的に王道展開を取り入れているように感じます。特に無印のラストバトルなんて、何度見ても燃える。「王道展開」とリカバリィの裏設定を伏線にしたスレイヤーズならではの戦略を組み合わせた結末はお見事。その後にコピーレゾが見せる「コピーとして作られたもの」の哀愁・・・それに応えるリナ・・・爽快感としっとり感が相まって、最高のエンディングとなりました。REVOLUTIONは無印への原点回帰がテーマの一つのようなので、ラストバトルに当たって、その辺が再現されるといいな、と思っています。