新スレイヤーズ ファルシェスの砂時計 後編 ネタバレ感想

 スレイヤーズレジェンド下巻に掲載された 旭氏作画の新作コミックのネタバレ感想です。
 まずはネタバレがない話から。このコミック版、絵柄にクセがあること、またパンチラや巨乳などのエロ描写が含まれることなど、第一印象の好みは分かれるものになると思います。ただ、ストーリーは名作の部類に入ると思うので、エロ苦手な方でも絵柄と作風は割り切った上で読んでみることをお勧めします。コミックスは11月9日発売。

スレイヤーズ・レジェンド 下巻 2008年 10月号 [雑誌]

スレイヤーズ・レジェンド 下巻 2008年 10月号 [雑誌]



 後編を読んだ第一印象は・・・正直なところ期待しすぎたかな・・・と思った。前編はほとんど期待しないで読んだらあれ?これ面白いぞ!って自分の中で盛り上がった。後編はそんな期待もあったせいか、最初は後半のランザム戦あたりから個人的にちょっと乗り切れなかった部分が。
 もちろんテーマは良かったし、各キャラクターがそれぞれの持ち味を発揮しつつ活躍していました。でもね、なんか個人的に「あれ?」と思っちゃって。
 理由は考えたら分かった。このファルシェスの砂時計、6人のメインキャラがほぼ均等に活躍しています。ゼルが少し分量少ないけど。そう、均等に。つまり・・・リナに主人公補正がかかっていない。リナに視点をあわせて見るとちょっと薄味かな、と。我ながらわがままだとは思うけど。でも、補正がかからなかったことで生まれた良シーンや、私の中で新しく気付いたこともあったので、何度も読み返したら、なんか深いなあ〜と思いました。この辺は後述します。
 もう1点は、これもリナ絡みなんですが、最終戦にオリジナル色が強く出すぎてしまったことかな。今回は魔法が使えない島が舞台。この6人の面子で魔法なしだと一番戦力が低下するのは間違いなくリナで、その状況は面白いと思った。そこで、リナはルークが作った「魔石」というオリジナルアイテムを使って戦うことになります。ルークは原作でも剣に魔法を込めて使ったりしているので、こういうアイテムを作れたことはまあありかなと思う。限られた条件の中、活路を見出す姿はリナらしくかっこいい。でも、最後にランザムの術式を破った方法・・・「魔王の腹心の力に対応した石が揃っている」「腹心の力では魔王の力を防げないどころか吸収されてしまう」「ならばいっそ全部喰らわせてやる」「魔王の力に「あんたの体の許容量がそいつに耐えられるかしら?」この一連の流れが???よくわからない理論だぞ、と。何回も読んで考えたら、腹心の力の石、というのは腹心の力を使った魔法が入った石で、その5つの力をランザムが集めつつある魔王の力の中に放り込んだら、混ぜるな危険でランザムの扱いきれるキャパを越えちゃって術式崩壊、って事なのかな〜と思えたけど、ちょっとこの理屈は分かりにくいように感じる。「吸収」もされるのかなあ?原作15巻を見ると、腹心の力は軽微とは言え魔王にも有効なはず。私の中でこの辺りがどうも腑に落ちなくて乗り切れなかったようです。
 とは言え、最初にも書きましたがテーマはすごく良かった。今回のボスキャラである司祭ランザムは、愛する女性の命を理不尽に奪われた悲しみから、禁呪を使って彼女を蘇らせ、平和な毎日が続く世界を作り上げた。世界に歪みをもたらすことも承知の上で。そんなランザムに各キャラクターが自分の思いを重ね、その生き様を見せる・・・そんな構成になっています。
 特にルークは、原作14巻以降の彼自身の状況と被ることもあり、その結末を知る我々読者的には読んでいて切ないものがあります。ルークの話が出たのでここでルークについて。このマンガ版の影の主人公はズバリ、ルークでしょう。ルークとミリーナは原作以外のメディアに登場するのは初で、まだ描かれていない部分の多いキャラクターです。その二人・・・特に第2部のキーパーソンであるルークにスポットを当て、その魅力を大きく引き出したことは、このマンガ版最大の功績でしょう。「一人の女が俺に生きろと言った ただその言葉に従うまでさ」このセリフ、よく言わせたな、と思う。ルークとミリーナ、二人の出会いのエピソードは原作でもまだ明かされていません。そこにあえて踏み込んだ。しかも違和感なく。ルークにとってミリーナがどんなに大切な存在かがよく伝わってくる。普段はおちゃらけてるけど、本当に彼女を愛していたんだな、と。ミリーナもまた、ルークを支え、その思いに応えている。ミリーナは原作ではひたすらクールビューティを貫いていて、ルークにも冷たく当たっています。でも、原作のミリーナはあくまでリナの視点から見えたもの。「不器用ですから」のセリフから、ひょっとしたら二人のときはこんな甘いやり取りをしているのかもしれない。そう感じられた。ルークが最終戦で見せた「賭け」に勝った姿は本当にかっこよかった。でも、それは悲しい力。このマンガではルークは自分の中に眠る力の正体に気づいている、という解釈で物語が進行する。原作では実際のところどうだったのか、これもリナ視点ゆえに分からない部分。だけど、あり得ない話ではなさそう。ランザムの思いに共感しつつも、彼の「間違い」に立ち向かうことを選んだルーク。だけど、ルークはランザムと同じ状況に立たされたとき、似たように「間違い」を選択をしてしまう。これが・・・ほんと切ない。ルークとミリーナは、その魅力が描かれれば描かれるほど、原作での悲劇が悲しみを増して引き立つ。リナとの絡みも同じ。仲間としての絡みが描かれれば描かれるほど、リナが2部終了後に背負う重みに全部跳ね返るんですよね。なんとも切なくも輝く二人。・・・とりあえず神坂先生、二人の出会いのエピソードを外伝で書いてください。
 次はアメリアとゼルガディスについて。アメリアはゼロスに「らしくないですね 明確な罪人を目前にして お得意の正義で鉄拳制裁と行けば早い話じゃないですか」と皮肉を言われちゃう。善か悪か、そう問われたら世界に歪みをもたらしてしまうランザムの行いはは悪でしょう。でも、その裏側にある事情・・・そしてルルが消えてしまうという事実がアメリアの「正義」に影を差す。前編で海賊の振りをしていたノアを問答無用で「正義執行」してしまったのとは対照的。彼女が最終戦で見せた「正義」は「説得」でした。セイルーンのお家事情をを絡めて見せたのはお見事。結局ランザムには伝わらなかったけど、セイルーンの王女として、「正義」を掲げるものとしての生き様を見せられたかな、と。の辺は原作にはない要素だけど、2部の時間軸って事で、少し成長したアメリアを見られた気分。
 ゼルは分量的にはあまり見せ場はなかったけど、倒れたアメリアをフォローして言ったセリフがかっこいい。「苦しみよりも多くの面白いものを見せてくれる連中が世の中に多くてな」ゼルはかつては正道を外れた道をを歩んでいたことがある。だけど、リナたちに出会って変わることが出来た。あまり言葉には出さないけど、そのことを仲間達に感謝してるんでしょう。そんな彼の本心が垣間見えた。
 最後、リナとガウリイ。この話の前に先ほど触れた「主人公補正」の話を。主人公補正っていうのは、色々あると思うけど、一つは主人公に花を持たせてあげること。実際、スレイヤーズにおいても、ファンクラブ会報で神坂先生が「編集から最後はリナで決めて欲しいといわれている。その関係で、ガウリイは終盤では寝ている」というような話をしていた。主人公ばかり目立つなんて・・・と言うなかれ。特にバトル要素がある作品で、見せ場を与えられず威厳を失った主人公がどんなに哀れか・・・NARUTOというマンガを読めばよく分かると思う。冗談はさておき、やはり主人公には決め時というのがある。とは言え、逆にリナがなぜ主人公足りえるかというと、「最後に決めることが可能な力」を持っているからです。作品の都合上の補正はあるでしょうけど、地力がなければ説得力がなくなってしまいます。しかしこの「補正」、作品の中で見るとおいしいものばかりではない。相手が問答無用でしばき倒していい敵だったらひたすらおいしいし爽快。だけど、「100%悪人といいきれない敵」だった場合・・・最後に手を下す役って言うのはおいしいばかりではない。後味が悪いこともある、重荷を背負わされることもある。それがリナが主人公として、大きな力を持つものとして、背負っている宿命なんです。
 今回、このファルシェスではその補正がリナにかかりませんでした。その分ガウリイの見せ場が増えている。ランザムへの止めを指したのはガウリイだった。その後、世界の歪みを直すためにラグナ・ブレードを使う。憎みきれない敵ランザムを倒すこと、そしてそれがルルと平和な村を消し去る結果になること。またリナが背負わなくてはならない重み。でも、これもガウリイがリナの手を取り、二人で使っているようなイメージです。ガウリイが繰り返す「一人で背負わなくていい」というセリフ。リナが「最後に決める役」を努めるとなると、ガウリイはその重さを背負うにしたってアフターフォローになってしまうんですよね。でも、今回はリナを一人にはしなかった。ちゃんと一緒に「背負った」。6人が同列に扱われたからこそ生まれた名シーン。そう感じた。ガウリイ、保護者してるなあ。
 さて、このファルシェスの砂時計、実のところ最初は、最終戦におけるリナのガウリイに対する態度がちょっとよそよそしいかな、と思ってました。私のイメージだとリナはガウリイにもっと普通に頼っていると思っていたので。例えば、術式を破った後、リナは一人で最後の一撃を叩き込もうとします。だけど、原作のガーヴ戦イメージだと後はガウリイに任せてもいいんじゃないか?と思った次第。でも、多分「呪文が使えない」という状況ゆえなのかな、と思った。あまり表には出さなかったけど、呪文が使えないもどかしさや悔しさはあったと思う。自分が力を出し切れないばかりに仲間達を守れなかったら嫌だ、っていうのと足手まといにはなりたくない、っていう意地ですね。きっと、本当に全力を出し切って術式を破ったなら、後はガウリイに任せたんじゃないか、そう思ったらしっくりきた。ガーヴフレア食らった後に、ガウリイがフォローした後の軽口もそんな感じかなと。
 最後になりますが・・・結局ゼロスのたくらみってなんだったんだろう・・・?ルークの中の魔王に影響を与えること?そこは未消化で終わっている気が。「いずれあたしが巻き込まれる筋書きになるでしょうから」とあるので、原作の中の話なんだろうか・・・?
 このファルシェスの砂時計は世界観や魔法の設定には少々疑問が残るものの、キャラクター描写、そして戦闘シーンの動きのある絵は大きな魅力でした。作者は恐らくスレイヤーズファンだと思われる。来年20周年なので、スレイヤーズファンのプロが描いたスレイヤーズを集めた企画とかやったら面白いんじゃないか、そんなことを思いました。